体験記(2)

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中国おもしろ事件簿(2)

元旦に財産を失うのこと

かつて中国では、二種類のお金が流通していました。ひとつは現地の一般の人々が日常使うお金で「人民幣」と呼ばれるもので、他のひとつは中国にやってきた外国人が使用するお金で「外貨交換券」と呼ばれていました。中国で現地通貨に交換しようとしても受けつけてくれず、強制的にこの外貨券をくれるのです。このお金は表向き人民幣と同じ価値をもっているはずですが、実際にはちがいました。この外貨券があると外国から輸入された商品を専門店で購入することができたため、人民幣より珍重されました。その結果、たとえば同じ100元であっても外貨券の方が150元なり200元なりの価値をもっていました。人々は競って外貨券を手に入れようとしていました。

そんな外貨券も後述するいわゆる外国人価格という慣習のせいで不評となり、廃止されることになりました。しかし、廃止にあたってその時期を一方的に来年の正月からと決めてしまいました。それも半年前に突然発表するというあわただしさです。少なくとも一年ていどの切り替え期間があってもいいではないかと思いましたが、そこは中国、電光石火のごとく切り替えてしまいました。おかげでわたしが大切にしていた外貨券は一朝にして紙くずとなったのでありました。

そのとき思いました、なぜ中国人はお金を信用しないか。理由は簡単です。国を信用していないからです。易姓革命に慣れた人民はけっして国の言うことを信用してはいません。国家が言うことはあてにならないということを身にしみて知っているのです。日本人のわたしは今回のことではじめて彼らの生活の知恵の深さを知ったのでありました。

 

外国人価格

中国で悪名高きもののひとつにいわゆる「外国人価格」というものがありました。「ありました」と過去形で書きましたが、少なくなってきたとはいうものの今でも多少残っています。上海に豫園という有名なところがあります。かつてここの入園料は中国人10元、外国人30元でした。つまり外国人は中国人の3倍ほども高い入園料を払わなくてはならなかったのです。その理由がふるっています。外国人は金持ちだ。金持ちから高いお金をとってどこが悪い。だから外国人の入園料が高くても当然だ、というのです。しかし、さすがに海外から旅行者が増えるにしたがってこんなローカルな考え方は通用しないということに気づいたのでしょう。近頃ではすこしずつこういった制度は撤廃されつつあります。

しかし、そこに至るまでには紆余曲折がありました。たとえば入園料が中国人と外国人とが同じ10元としても、外国人には外貨券での支払いしか認めないといった姑息なことをやっていた時期もありました。こうすれば10元でも外貨券は人民幣の2〜3倍の価値がありますから実質外国人価格を維持しているに等しいのです。こういう場面に何度もぶち当たったわたしはそのたびに立腹していましたが、ようやく外貨券が廃止になって溜飲をさげたところです。(しかし、そのおかげで思いもかけぬ損失をこうむったことは上述の通りです。)

ですが、いまでも町の露天商などでは金持ちの外国人からはできるだけぼったくってやろうとてぐすねひいて待っています。金を持っている人間からはどれほど金をもらってもいいという彼らの文化がいまだに続いていることの証かもしれません。

 

列車の旅

列車の旅というのは旅情を誘うものです。しかし、それは現代のわたしたちのかってな思い込みで、ちょっと前までの日本でも列車の旅というのはたいへんなものでした。中国でもつい最近まで列車やバスに乗ることはなかなか苦労をしいられたものでした。まず何といっても切符を手に入れるまでが一苦労です。なにしろ往復切符というのが手に入りません。自由席などありませんから、駅で指定券を購入するほかないのです。駅では自分のところが始発の指定券しか発行できません。よその駅のことはさっぱりわからないのです。コンピューターで発券するいまの日本のやり方になれた身にはとてもこたえます。先のわからない不安と悠長なやり方にいらいらするばかりです。

とりあえず片道だけでも手に入れた切符をもって列車に乗り込みます。切符はそれぞれの列車ごとに座席ぶんだけ用意されていますから、ダブルブッキングということはあまりないのですが、列車に乗りこんだ人々はかってに座席を占領することをします。悪気はないのでしょうが、景色のいい窓際にさっさと座ってしまうという癖をもっているようです。せっかく景色のいい座席に誰もいないのだから座ってもいいではないかという気持ちなのでしょう。そういう文化的な伝統があるようです。

 

自動車教習所

上海の自動車教習を見学したことがあります。妻が運転免許を取るために通学していたので、これ幸いと、ある日同行しました。教習所は郊外にあり、交通が不便なためタクシーで通っていました。 上海の自動車教習所は日本のそれとさほどかわらないシステムで、それ自体は驚くようなことはなにもありません。まあびっくりしたのは日本もそうらしいですが、実際の車に乗る前にシミュレートする機械があったことです。そうです、あのゲームセンターなんかにあるような機械です。あれがちゃんとそろっていたのです。わたしなどそんな機械をはじめて見ました。当然、うまく運転できませんでした。わたしが教習所に通ったときは初日からいきなり実車に乗せられてしまいましたが。

教習車はさすがに古く、日本でいえば昭和30年代に走っていたような車です。車種は2種類しかありません。普通免許取得者用と大型免許取得者用です。中国では普通免許をとる人は少なく、たいてい仕事でトラックを運転できるように大型免許をとろうとします。したがって大型免許取得者用教習車はトラックです。トラックは荷台の前半分に幌がかけられていて、同乗の生徒たちは順番がくるまでずっとこの中に座って一緒にコースを回るのです。ひとつのトラックにはだいたい4、5人が一組で乗りこみます。一方、乗用車組はというと、これがジープなのです。戦後中国で生産されたジープで、いざというときにはそのまま戦場でも走れるという代物ですね。妻はこちらのグループで、そのためわたしがじっくりと見た車はこちらのジープの方です。

実地訓練が開始されると、まず始業前点検です。ボンネットを開け、ラジターの水の点検、エンジンオイルの点検、足回りの点検と、ここらあたりは日本と同様ですね。わたしは興味津々でエンジンを覗きこみました。う〜ん、わたしが習ったころのエンジンだぞ。直列4気筒、OHV。じつにシンプルで、わたしでも分解組み立てができそうです。戦場で故障してもこれなら直せそうです。教習員の好意でわたしもハンドルを握らせてもらいました。もちろん左ハンドルです。ギアは前進3段、後進1段です。驚いたのはブレーキです。日本の教習車は教官の乗る助手席にもブレーキがついていますが、中国では自動車教習用の車を生産するなどという無駄はできないのでしょう。わたしのブレーキには太い鉄パイプがしっかりとくくりつけられていて、そのパイプは教官の足元まで延びているのです。つまり教官がそのパイプを踏み込むとわたしの足元のブレーキが踏み込まれ、その結果ブレーキがかかるという仕組みです。なるほど単純ながら、理屈に合ってはいます。

その日、妻が教習を受けている途中にエンジンがかからなくなりました。どうやらバッテリのようです。ターミナルの接触が悪いのでしょうか、通訳の妻もメカのことになるとちんぷんかんぷんで説明できません。ちなみに妻は学科試験も講習も受けていません。それらはすべて「金で買った」のです。つまりお金を余分に払うことで、そうしたわずらわしいこと(笑)はすべて避けることができるのです。中国は「いいところ」です…!? バッテリ関係の修理をする建物の前に車を持ちこみ、修理をしてもらいました。建物の中にはずいぶん年配のおじいさんが白衣を着てお茶を飲んでいました。彼は車からバッテリを取り外すと、室内に置いてあるもうひとつのバッテリにつなぎ、電気を流しました。何をしているのかとわたしも傍からそれを見つめていました。バッテリのターミナルは過電流のため、真っ赤になっています。それを二、三度繰り返すと、修理は完了です。わたしはいまだに何をしたのかわかりません。

教習所内は広々としていて、日本のようにせせこましくありません。トップギアで十秒ていどは走れます。所内のコース上には花壇があり、いろいろな草木や花が咲いています。驚くべきことに未熟者が運転するコース上で、花壇やコースの手入れをする人たちがいっぱい働いていることです。一応目立つように黄色のポンチョを着てはいるのですが、まったく危ないかぎりです。実際、いまわたしが運転しているジープは一月ほど前に清掃員をひき殺したのだそうです。いやはやびっくりします。で、その補償金は日本円にしておよそ百万円だったそうです。それを聞いて、またまたびっくり。

妻は無事卒業しましたが、実技以外はすべて金で解決したそうです…。もっと猛者になると、教習所には一歩も足を踏み入れずに免許証を手にする者もあるとか。地獄の沙汰も金次第…中国的風景ではあります。

 

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