上海の自動車教習を見学したことがあります。妻が運転免許を取るために通学していたので、これ幸いと、ある日同行しました。教習所は郊外にあり、交通が不便なためタクシーで通っていました。
上海の自動車教習所は日本のそれとさほどかわらないシステムで、それ自体は驚くようなことはなにもありません。まあびっくりしたのは日本もそうらしいですが、実際の車に乗る前にシミュレートする機械があったことです。そうです、あのゲームセンターなんかにあるような機械です。あれがちゃんとそろっていたのです。わたしなどそんな機械をはじめて見ました。当然、うまく運転できませんでした。わたしが教習所に通ったときは初日からいきなり実車に乗せられてしまいましたが。
教習車はさすがに古く、日本でいえば昭和30年代に走っていたような車です。車種は2種類しかありません。普通免許取得者用と大型免許取得者用です。中国では普通免許をとる人は少なく、たいてい仕事でトラックを運転できるように大型免許をとろうとします。したがって大型免許取得者用教習車はトラックです。トラックは荷台の前半分に幌がかけられていて、同乗の生徒たちは順番がくるまでずっとこの中に座って一緒にコースを回るのです。ひとつのトラックにはだいたい4、5人が一組で乗りこみます。一方、乗用車組はというと、これがジープなのです。戦後中国で生産されたジープで、いざというときにはそのまま戦場でも走れるという代物ですね。妻はこちらのグループで、そのためわたしがじっくりと見た車はこちらのジープの方です。
実地訓練が開始されると、まず始業前点検です。ボンネットを開け、ラジターの水の点検、エンジンオイルの点検、足回りの点検と、ここらあたりは日本と同様ですね。わたしは興味津々でエンジンを覗きこみました。う〜ん、わたしが習ったころのエンジンだぞ。直列4気筒、OHV。じつにシンプルで、わたしでも分解組み立てができそうです。戦場で故障してもこれなら直せそうです。教習員の好意でわたしもハンドルを握らせてもらいました。もちろん左ハンドルです。ギアは前進3段、後進1段です。驚いたのはブレーキです。日本の教習車は教官の乗る助手席にもブレーキがついていますが、中国では自動車教習用の車を生産するなどという無駄はできないのでしょう。わたしのブレーキには太い鉄パイプがしっかりとくくりつけられていて、そのパイプは教官の足元まで延びているのです。つまり教官がそのパイプを踏み込むとわたしの足元のブレーキが踏み込まれ、その結果ブレーキがかかるという仕組みです。なるほど単純ながら、理屈に合ってはいます。
その日、妻が教習を受けている途中にエンジンがかからなくなりました。どうやらバッテリのようです。ターミナルの接触が悪いのでしょうか、通訳の妻もメカのことになるとちんぷんかんぷんで説明できません。ちなみに妻は学科試験も講習も受けていません。それらはすべて「金で買った」のです。つまりお金を余分に払うことで、そうしたわずらわしいこと(笑)はすべて避けることができるのです。中国は「いいところ」です…!? バッテリ関係の修理をする建物の前に車を持ちこみ、修理をしてもらいました。建物の中にはずいぶん年配のおじいさんが白衣を着てお茶を飲んでいました。彼は車からバッテリを取り外すと、室内に置いてあるもうひとつのバッテリにつなぎ、電気を流しました。何をしているのかとわたしも傍からそれを見つめていました。バッテリのターミナルは過電流のため、真っ赤になっています。それを二、三度繰り返すと、修理は完了です。わたしはいまだに何をしたのかわかりません。
教習所内は広々としていて、日本のようにせせこましくありません。トップギアで十秒ていどは走れます。所内のコース上には花壇があり、いろいろな草木や花が咲いています。驚くべきことに未熟者が運転するコース上で、花壇やコースの手入れをする人たちがいっぱい働いていることです。一応目立つように黄色のポンチョを着てはいるのですが、まったく危ないかぎりです。実際、いまわたしが運転しているジープは一月ほど前に清掃員をひき殺したのだそうです。いやはやびっくりします。で、その補償金は日本円にしておよそ百万円だったそうです。それを聞いて、またまたびっくり。
妻は無事卒業しましたが、実技以外はすべて金で解決したそうです…。もっと猛者になると、教習所には一歩も足を踏み入れずに免許証を手にする者もあるとか。地獄の沙汰も金次第…中国的風景ではあります。