わたしはかつてじつに風情あるトイレを体験したことがあります。もうかれこれ7、8年ほど前のことでしょうか。それは浙江省の片田舎でのことでした。用があって歴史は古いが今ではかなりさびれた村を訪れたときのことです。その村(鎭といいます)は隋の煬帝が大運河の工事をしたとき、その端所になった村です。中国の町や村はどんな片田舎でも歴史はすごいといわざるをえません。
村は改革開放の掛け声から取り残されたようにひっそりとたたずんでいます。といっても人々は大声でしゃべり、にぎやかな音楽を町中に鳴り響かせていて、静寂とは無縁の暮らしをしていました。
仕事が終わってみなで夕食を取りました。広大な大陸をもつ中国からは想像もできないほど狭く建て込んでいる民家のなかにあるレストランでした。楽しい会話とともに食もすすみます。飲兵衛のわたしですが、中国ではたいていビールをのみます。中国ではビールを冷やして飲む習慣がないので、たいてい常温で飲みます。アルコール度数が低いのでつい飲み過ぎてしまいますが、そうなるととうぜんトイレ通いも忙しくなるという寸法です。
レストランにはトイレがなく、その地域の共同トイレまで行かなくてはなりません。トイレは日本の茶室よりひとまわりは大きな長方形の建物で、土壁に中国特有の薄瓦を何枚も敷き詰めた屋根を乗せていました。電灯はついておらず、月明かりを頼りに用を足します。窓はガラスもなく吹きさらしです。そこから満月まぢかの月が顔をのぞかせているのです。十五夜が近かったかもしれません。虫のすだくような音が静まりかえった村中に満ちていました。中に入るとそこにはすでに先客がいました。白いあごひげを胸のあたりまでたらした老人でした。(一応男女別々にはなっていました)
さて、ここでトイレの様子をお話しなければ状況がわかりませんね。内部は長方形です。周囲の壁面に向かって「小便池」と呼ばれる「小」専用の場があります。日本でもよく見かける、壁に向かって放尿するタイプですね。(もちろん仕切りなどありません。小水は下の水路を伝って流れていくのです。)そして、部屋の中心部を長方形の箱が占領しています。板で作られています。上部の蓋にあたる部分は屋根のように中心部が高く長辺の両側に向かってゆるやかに傾斜しています。その屋根部には7、80cmおきに馬蹄形に穴がくりあけてあります。もうお分かりですね、ここに尻を乗せて大の方をするわけです。くだんの老人はズボンを下ろしてその穴の一つに尻を乗せていました。いまは珍しくなった煙管をゆるやかに吹かしながら黙然と座っています。煌煌と照らす月光、耳を圧倒する虫の音、それ以外人通りも声もない静寂。その中に老人とわたしだけがいる…。
わたしはふと小さなころの田舎を思い出しました。わたしの田舎もここに負けず劣らず山間の小さな村でした。トイレのことはさておくとしても、こんなに静かな夜を体験したのはほんとうに久しぶりのことです。虫の音に耳を傾けながら、異国の地で見知らぬ老人とひとときを共有したことは、トイレの中とはいえいかにも情緒のあることではありました。
それまでこれほど静かでゆったりとした時間をわたしは忘れていました。日々の暮らしに追われていつのまにか自分自身を見失っていたのでしょうか。この瞬間、わたしは子どものころにタイムスリップしたみたいです。過去と現在、そして日本と中国……なんとも奇妙な体験でした。