中国トイレ事情

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トイレ見聞集
トイレ譚

トイレにまつわる話題というのはどこの国でもけっこうあるものです。中国も例外ではありません。中国にかぎらず外国に行って苦労するものの一つにトイレがありますが、一説によると日本人ほどトイレによくいく民族はないのだそうです。団体旅行などで添乗員さんが神経を使うのがトイレといわれています。どうやら他の国の人たちは日本人と比べるとトイレにいく回数が少ないようです。

中国のトイレは「開放的」です。「開放的」とはかんたんに言うとドアや仕切りがないということです。もちろん都会やホテルなどでは西欧流のトイレがあり、アメリカやヨーロッパ旅行を体験された方ならまずまずつかえるといったものです。しかし、田舎の方へ行くといまだに「伝統的な」トイレが一般的です。つまり、ドアはもちろん、隣同士の仕切りがないかあってもようやく腰を隠すぐらいほどのものが申し訳程度に立っているといった感じです。ずっと田舎の方に行くとその仕切りすらもありません。わたしもはじめて見たときはいささかビビリました。出るものも出ないといった状態でした。

しかし、わたしたちは銭湯に入るときおたがい裸を見てもどうということはないのですから、これもたんなる慣れの問題でしょう。わたしはお腹をこわしてどうしてもトイレを使わざるをえない事態にいたり、やむなく衆人環視の中で用を足したわけですが、以来中国式トイレに抵抗感をもたなくなりました。いったん慣れてしまうと、トイレに入って隣の人と談笑したり、「隣人」が読んでいる新聞を盗み見したりと、それなりに「過ごし方」をエンジョイできるようになります。

 

トイレ事情

中国に初めて行かれる方にわたしがアドバイスする事のひとつは、ホテルに入ったらまずトイレの水が流れるか確認するようにということです。最近はだいぶ改善されてきましたが、かつてはトイレの水が流れない、シャワーのお湯が出ない、鍵がかからないなどのトラブルが頻発したものです。 トイレの水が流れないのはとても困ります。知らずに用を足した後など真っ青ですね。恥ずかしくて従業員を呼びにくくなります。だから最初に確認しておくようにアドバイスするのです。 シャワーのお湯もそうですね。水すら出ないことも珍しくありません。日本人は風呂好きで、毎日風呂に入るか、身体を洗わないと一日の疲れがとれないような気分になりますが、向こうの人は(日本人以外といってもいいかもしれませんね)風呂はもちろんシャワーすら頻繁に浴びることはありません。だからシャワーの水が出なくても気にならないというわけです。

 

トイレ風流

わたしはかつてじつに風情あるトイレを体験したことがあります。もうかれこれ7、8年ほど前のことでしょうか。それは浙江省の片田舎でのことでした。用があって歴史は古いが今ではかなりさびれた村を訪れたときのことです。その村(鎭といいます)は隋の煬帝が大運河の工事をしたとき、その端所になった村です。中国の町や村はどんな片田舎でも歴史はすごいといわざるをえません。

村は改革開放の掛け声から取り残されたようにひっそりとたたずんでいます。といっても人々は大声でしゃべり、にぎやかな音楽を町中に鳴り響かせていて、静寂とは無縁の暮らしをしていました。 仕事が終わってみなで夕食を取りました。広大な大陸をもつ中国からは想像もできないほど狭く建て込んでいる民家のなかにあるレストランでした。楽しい会話とともに食もすすみます。飲兵衛のわたしですが、中国ではたいていビールをのみます。中国ではビールを冷やして飲む習慣がないので、たいてい常温で飲みます。アルコール度数が低いのでつい飲み過ぎてしまいますが、そうなるととうぜんトイレ通いも忙しくなるという寸法です。

レストランにはトイレがなく、その地域の共同トイレまで行かなくてはなりません。トイレは日本の茶室よりひとまわりは大きな長方形の建物で、土壁に中国特有の薄瓦を何枚も敷き詰めた屋根を乗せていました。電灯はついておらず、月明かりを頼りに用を足します。窓はガラスもなく吹きさらしです。そこから満月まぢかの月が顔をのぞかせているのです。十五夜が近かったかもしれません。虫のすだくような音が静まりかえった村中に満ちていました。中に入るとそこにはすでに先客がいました。白いあごひげを胸のあたりまでたらした老人でした。(一応男女別々にはなっていました)

さて、ここでトイレの様子をお話しなければ状況がわかりませんね。内部は長方形です。周囲の壁面に向かって「小便池」と呼ばれる「小」専用の場があります。日本でもよく見かける、壁に向かって放尿するタイプですね。(もちろん仕切りなどありません。小水は下の水路を伝って流れていくのです。)そして、部屋の中心部を長方形の箱が占領しています。板で作られています。上部の蓋にあたる部分は屋根のように中心部が高く長辺の両側に向かってゆるやかに傾斜しています。その屋根部には7、80cmおきに馬蹄形に穴がくりあけてあります。もうお分かりですね、ここに尻を乗せて大の方をするわけです。くだんの老人はズボンを下ろしてその穴の一つに尻を乗せていました。いまは珍しくなった煙管をゆるやかに吹かしながら黙然と座っています。煌煌と照らす月光、耳を圧倒する虫の音、それ以外人通りも声もない静寂。その中に老人とわたしだけがいる…。

わたしはふと小さなころの田舎を思い出しました。わたしの田舎もここに負けず劣らず山間の小さな村でした。トイレのことはさておくとしても、こんなに静かな夜を体験したのはほんとうに久しぶりのことです。虫の音に耳を傾けながら、異国の地で見知らぬ老人とひとときを共有したことは、トイレの中とはいえいかにも情緒のあることではありました。
それまでこれほど静かでゆったりとした時間をわたしは忘れていました。日々の暮らしに追われていつのまにか自分自身を見失っていたのでしょうか。この瞬間、わたしは子どものころにタイムスリップしたみたいです。過去と現在、そして日本と中国……なんとも奇妙な体験でした。

 

手紙は落とさない。

中国ではトイレットペーパーを「手紙」といいます。ですから中国人にむかって「きっと手紙を頂戴ね」なんていうと思いっきり変な顔をされますよ。(トイレットペーパーなんかもらっていったいどうするんだろう?って)
中国ではわたしたちが言うところの手紙は「信」といいます。「私信」などというときの「信」ですね。トイレットペーパーなどは最近の言葉ですから、「手紙」はもともとわたしたちの「チリ紙」に近いものでしょうか。「鼻紙」とも言いますね。

さて、中国では用が終わった後の「手紙」はわたしたちのように落としません。トイレの脇にそれ用の籠があって、使用済みの「手紙」はそこに入れるのです。トイレに入るたびにわたしは注意深くその籠の中の「手紙」を見るのですが、意外ときれいなのです。これが不思議です。(念のため言っておきますが、わたしには変な趣味はけっしてありません。)
たまには下痢をしている人、軟便の人もいるはずなのに、籠の中の「手紙」はみなさほど汚れていないのです。今日に至るまで中国七大不思議のひとつです。(どなたかご存知の方がいたらぜひお教えいただきたいと思います。)

そうそう、中国で個室に入るとき注意することがあります。日本では個室内にトイレットペーパーが備え付けてあるのが普通ですが、中国では個室内にトイレットペーパーは備え付けてないのが通常です。ではどこにあるのか?というと、たいていは入り口付近に備え付けてあります。入り口といってもトイレ全体の入り口です。個室の入り口ではありません。
慌てているときはついそのことを失念しているのが通例です。用をたしてほっとしたところでパニックに陥るという例はよく聞きます(笑)

 

和式と中華式?

都市部では一般家庭には洋式水洗トイレが普及していますが、地方都市では空港などでも和式水洗トイレも多く見られます。いや、和式ではなく中華式とでも言うのでしょうか?
和式と中華式の違いはどこか? 和式には「金隠し」がありますが、中華式にはないのが普通です。そうなるとどちらが前か後ろか判りませんね。

和式では排出口が金隠し側、つまり「前」の方にあるのが普通ですね。中華式ではこれが「後ろ」の方にあるようです。これがどちらを向いて腰をおろしたらいいかの判断基準になるかもしれません。
最近の便器は、腰をおろしたときに身体が安定するように足をおろす部分に傾斜をつけたり滑り止めを施したりしてあります。これもどちらが前かの判断を助けてくれそうです。

しかし、頭では解っていても、「緊急時」(笑)にはなかなかそこまで頭が回りません。慌てて飛び込むと、つい日本での習慣にしたがって排水口を前に腰を落としてしまいがちです。私も何度も反対向きで用を足したことがあります。反対向きに腰をおろしていると何故か身体が後ろに倒れてしまうんですね。それで実は反対向きで用をたしているんだ!と気づくことになります(笑)

 

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